こっから、こっから。ゆっくり楽しく歩いてこ。

日々の想い、小さな暮らし、乳がん退治の記録を綴ります。ぶつくさ言う黒猫も登場。

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トロとの出会い、保護までの顛末と、
癌宣告から手術、治療の過程を記録しています。
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か細い小さな命を見つめています。家族を想う日々。

おはようございます。

2週間ぶり。


ちゃんと記録すべきコトなのに、

想いもまとまらず、翻弄されたまま過ぎました。


年明けから、ずっと、

ひとつの、か細い命を見つめています。



87歳 女性

体重36キロ

ペースメーカー埋没

圧迫骨折最低7箇所

肺には水が溜まり

足はゾウさんのように浮腫み


そして、酸素濃度83%


でも、いま、生きています。

生かされています。


その老婆は

私の母です。


これまで、

ブログには書いてこなかった母のコト。

それだけで重くなるのが辛かったから。

向き合うことを避けてきた。


でもいま、

多分限られた時間を意識するようになって、

自分の想いも含めて、記録しておこうと。


母、

凄くいろんな感情を持ちます。


もちろん、大切な母親であることは

疑いようもないのですが、

同性の母娘として、いろんな葛藤の中、

今があります。


母、48歳で未亡人となり、

父は腎臓癌でした。


それまで父が営んでいた小さな会社も

父の弟に乗っ取られて。

泥沼化。


親族ごと失ったような私達、

社会を知らない母はやられ放題だったな。


母なりに地獄をみて、

もがいて生きてきたんだと思う。


幸い、母の兄が社会的地位もあり、

経済的にも、彼女を支え、母は守られた。


若き時代、

そんなこんなで

私達姉妹もなにかと大波を食らってきた。


私もシングルマザーを選択したりの

時期だったし、生きるのに必死。


よく母とぶつかってきたなー。

若かったからね、私も未熟だったし。


母も若かったからね、

お互い傷つけ合ったのね。




私が、5年前に

築55年の古い家を建て替える決心をして、

前の家の半分くらいの小さな家を建てた時、

母の部屋も用意した。


我々夫婦の寝室より倍の広さで。

我が家の中で1番広い部屋。

小さなミニキッチンもつけた。


母と、姉と、私、、。

このそれぞれにやっかいな、

女3人にとって、

距離感も含めて、

上手くバランスをとりながら

生きていくことは、

なかなかエネルギーがいることだった。


センターを取るのが好きな母、

身なりを綺麗にしてないと人に会えない母、

趣味に生きた母、

87歳だけど、

ずっと豊かな娘のつもりの母、


お嬢様のまま、ここまでこれて、

ある意味幸せだったよね。


いま、変わり果てた姿で

ベッドに繋がれている。


ちゃんと言わなきゃ、

『ありがとう。』って言わなきゃ。

『あなたの娘で幸せです。』って、

伝わる時に伝えなきゃ。


人間がその人生を閉じる時、

やはり『尊厳』を思わずにはいられない。


せめて、

痛みと苦しみをとってあげたい。


痛みのない、穏やかな余生を。

今日も生命を見つめて過ごします。


ウチのばあば、

あたちに似て、気が強くて、

かわいいばあばなのよ。


女はそんくらいがイイのよ。